よみがな:さわらしんのう
天平勝宝2年(750年)生まれと推測されます。
光仁天皇の皇子で母は高野新笠。
桓武天皇の同母弟。桓武天皇の即位により皇太子となりました。
延暦4年(785)、長岡京遷都の中心人物である藤原種継の暗殺事件が起きました。
捕らえられた者の多くが早良親王の側近であったことから、親王も関わりありとして皇太子を廃され、乙訓寺に幽閉されました。
延暦4年(785)9月28日、無実を訴えて絶食していた早良親王は、淡路に配流される途中に絶命しました。
遺体はそのまま淡路まで運ばれ葬られました。
その後、桓武天皇周辺で早良親王の崇りと思われる災いが多く起こったため、これを鎮めるため、後に早良親王に崇道天皇を追称し、奈良市八島町に移して葬っています。