嘉禎4年(1238)閏二月
河南の豪族吉原氏と、河北の豪族牧野氏の争論で
23社に宮分け(分祀)されたということが、御霊本記に書かれています。
しかし、これ以上の記載は残っていないため、争論の内容等は一切不明となっています。
現在、本宮を含め22社の存在が確認されていますが、畑田町に分祀したという伝承はありますが不明です。
八坂神社があるだけで、井上内親王が合祀されているかどうかは分かっていません。
御霊神社 丹原
八幡の森と呼ばれており、もとは八幡神社であったのではないかと思われます。本殿に井上内親王を祀り、本殿右に八幡神社が鎮座しています。
詳しくはこちら御霊神社 黒駒・落杣神社
神社の東側に磐座があり、その前に小祠を置いて祀られているのが落杣神社です。現在は御霊神社に合祀されています。
詳しくはこちら御霊神社 二見
秋祭りに新町の御旅所にお渡りをした帰り、桜の木を回る「回り桜」の風習が残っています。
詳しくはこちら御霊神社 野原
慶安3年(1650)に北野天満宮(祭神・菅原道真)より勧請、翌年に霊安寺の御霊神社より勧請。
詳しくはこちら御霊神社 牧
宮山と呼ばれる丘陵地に鎮座。本殿の扉には正装した武人が描かれていたといいます。
詳しくはこちら御霊神社 小島
栄山寺境内の北東端に南面して鎮座。もとは藤原氏の氏神である春日社を祀っていたと考えられています。宮分けで井上内親王が祀られました。
詳しくはこちら御霊神社 六倉
六倉町と島野町の境に架かる大昭橋の近く、六倉の集落と道路を挟んだ反対側の小山に鎮座しています。道路より細長いコンクリートの階段を上ると灯篭や鳥居が現れます。
詳しくはこちら御霊神社 島野
六倉町より大昭橋を渡った右手に森があります。道路から見れば小さな神社のように見えますが、朱の板塀に囲まれた立派な本殿があります。
詳しくはこちら御霊神社 湯谷市塚・天照皇太神社
下市と西吉野を結ぶ農免道路から湯谷市塚の小高い所に鎮座しています。鳥居のある石段を上り切ると覆屋が見え、向かって左が御霊神社、右が天照皇大神社です。
詳しくはこちら御霊神社 南阿田
割拝殿をくぐって境内に入ると、一段高い所に2社並んでいます。向かって左が御霊神社、右が八幡神社です。伝説では滝町の鬼八が御神体4体を持ち帰りました。
詳しくはこちら御霊神社 山田
もとは岩磐大明神が祀られていたと言われており、池の崩壊でここに移転したと伝わっています。
詳しくはこちら御霊神社 西阿田
元は神霊社。祭神は神日本磐余彦之尊といわれています。地元では頭痛の神として霊験があるといわれています。
詳しくはこちら御霊神社 佐名伝
井上内親王、早良親王、他戸親王と、西佐名伝にあった西宮神社を合祀しています。
詳しくはこちら龍池神社 三在
本殿は春日大社の社殿を移築したものです。本殿右側に一間社流造の御霊神社が建っています。
詳しくはこちら龍智神社 住川
本殿に水を司る龍智大明神を祀り、左の社殿に井上内親王を祀っています。隣接する龍智院は神宮寺です。
詳しくはこちら御霊神社 近内
小和と久留野の分岐より少し北の鳥居のある所が御霊神社の正参道です。本殿は一間社春日造です。
詳しくはこちら御霊神社 小和
200段の階段の上に社殿があります。元はこの階段の下にあり、明治初年に移転しました。
詳しくはこちら御霊神社 久留野
秋祭りでは、今も神輿を担いで練り歩き3軒の当家を巡ります。その様は勇壮です。
詳しくはこちら御霊神社 岡
京奈和自動車道がすぐ近くを通る高台に鎮座しています。御神体は童子を抱く女神像であるといわれています。
詳しくはこちら御霊神社 中之
もとは福田宮と呼ばれていました。本殿は文明4年(1472)に建立されたもので、国の重要文化財です。
詳しくはこちら御霊神社 釜窪
井上内親王が火雷神を生んだとき、産湯に使ったという釜を埋めた「釜塚」があります。
詳しくはこちら八坂神社 畑田
小祠が6社。主祭神は素戔嗚尊ですが、井上内親王が合祀されていると思われます。
詳しくはこちら火雷神社 御山
井上内親王の第3子火雷神の霊を慰めるため「火雷神社」は建立されたと云われています。現在の本殿は、1722年に遷宮されたと記されています。
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