2017年2月1日

(子)他戸親王

他戸親王

よみがな:おさべしんのう

天平宝字5年(761)の誕生と推測されています。白壁王と井上内親王の間に生まれました。

宝亀元年(770)に白壁王は光仁天皇として即位したため、翌年に皇太子となりました。

宝亀3年、井上内親王の巫蠱の罪により皇太子を廃され、翌年、厭魅の罪により井上内親王と共に宇智郡に流されています。宇智郡における記録がなく、宝亀6年(775)4月27日に母とともになくなったという記録だけが残っています。

しかし、御霊神社本宮の代々神主を務める藤井家の記録書である「御霊本宮神主代々記」には、「他戸親王第一之御子 従五位下 上彦」「第二之御子 正六位下 奈津水」「第三之御子 正八位下 宇津水」と記され、他戸親王には3人の親王がいたことになっています。

長野県宮田村には「上ノ宮」「中御所」「北御所」という地名があり、ここに他戸親王が梅の局という妃と一緒に住んでいたという伝説があります。

「春近し よのなか広く かをるらむ 梅の名におけ 花のわが里」という他戸親王が詠んだとされる歌が残っています。

梅の局が詠んだという 「駒ヶ岳 をねをね雪は深けれど ふもとの里は 梅咲き初めぬ」という歌も残されています。