2017年2月1日

(娘)酒人内親王

よみがな:さかひとないしんのう

日本後紀の卷三十七逸文、天長6年(829)8月20日の項に、酒人内親王が薨じたこと、光仁天皇の皇女で母は吉野皇后(井上内親王)であることが記されています。

続いて「容貌殊麗、柔質窈窕。幼配斎宮、年長而還。俄叙三品、桓武納之掖庭、寵盛、生皇子朝原内親王。爲性倨傲、情操不修、天皇不禁、任其所欲。婬行彌増、不能自制。」と書かれています。

これは「容姿麗しく、しとやかで上品である。幼い頃、斎宮に出向き長年務めて帰京した。
三品を授かり、桓武天皇の寵愛を受けて朝原内親王を生む。
性格は放漫でわがままであるが、天皇はこれを止めず、欲するままに行動した。
勝手気ままな行いは益々多くなり、自制できなかった。」という内容です。