井上内親王は、聖武天皇と県犬養広刀自との間に生まれた第一皇女で、
弟に安積親王、妹に不破内親王がいます。
白壁王(光仁天皇)の后となり、酒人内親王と他戸親王をもうけました。
また、宇智郡で御子を生み、その御子は火雷神となったという伝説があります。
(父)聖武天皇
神亀元年(724)24歳で第45代天皇として即位。天平9年(737)天然痘が全国的に猛威をふるい、この災いを仏教で鎮めようとして天平13年に国分寺建立、15年に廬舎那仏建立の詔勅を発した。
詳しくはこちら(夫)光仁天皇(白壁王)
御名は白壁王。志貴皇子の子で、天智天皇の孫にあたります。次期天皇候補が次々と暗殺された政争激しい時代、身を守るため酒におぼれた日々を送り、わざと無能を装っていたそうです。
詳しくはこちら(母)県犬養広刀自
聖武天皇との間に井上内親王・安積親王・不破内親王をもうけました。天平宝字6年(762)10月14日に薨じています。
詳しくはこちら(弟)安積親王
神亀5年(728)聖武天皇の第二皇子として生まれました。井上内親王の同母弟。万葉集の歌人として知られる大伴家持と親交があったといわれています。
詳しくはこちら(妹)不破内親王
井上内親王の同母妹。天武天皇の孫である塩焼王と結婚。神護景雲3年(769)称徳天皇を呪詛し、子の志計志麻呂を帝位につけようと企てたとの罪により京より追放されました。
詳しくはこちら(義妹)孝謙天皇(阿部皇女)
聖武天皇と光明皇后の間に生まれた阿倍内親王が立太子して、天平勝宝元年(749)に孝謙天皇として即位しました。
詳しくはこちら(娘)酒人内親王
日本後紀の卷三十七逸文、天長6年(829)8月20日の項に、酒人内親王が薨じたこと、光仁天皇の皇女で母は吉野皇后(井上内親王)であることが記されています。
詳しくはこちら(子)他戸親王
白壁王と井上内親王の間に天平宝字5年(761)に生まれたと推測されています。宝亀3年、井上内親王の巫蠱の罪により皇太子を廃され、翌年、厭魅の罪により井上内親王と共に宇智郡に流されています。
詳しくはこちら(子)火雷神(若宮)
井上内親王は宇智郡に配流されたとき、懐妊していたと云われています。宇智郡の社寺に安産祈願をして回り、無事に生んだのが火雷神です。
詳しくはこちら(孫)朝原内親王
宝亀10年(779)に桓武天皇と妃酒人内親王の皇女として生まれ、4歳で斎王に選ばれる。大同元年(806)5月に平城天皇が即位するにともない妃となりました。
詳しくはこちら(義子)早良親王
天平勝宝2年(750年)生まれと推測されます。光仁天皇の皇子で母は高野新笠。桓武天皇の同母弟です。桓武天皇の即位により皇太子となりました。
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