2017年2月1日

宮分け伝説

嘉禎4年(1238)、本宮から宇智郡内の22村に分祀され、新たに御霊神社が建てられたり、その地にあった神社に併せ祀ったりしたことを「宮分け」と言い、各地にその伝説が残っています。

おもしろいのは、現在のように正式に勧請、あるいはお祭りをして神霊を祀るということではなく、御神像をはじめいろんな物を奪い合っていることです。
しかも、数社が御神像を持って帰ったといわれています。

 

丹原町 …… 当時の神官が真っ先に行って宝冠を着けた鋳造の像をもらってきました。
これが本物の御神像であるといわれています。

滝町 …… 鬼八という人物が簀子の下に隠れていて、太鼓の合図とともに木像4体を背負って逃げました。
足が速い鬼八はどんどん逃げて、追っ手が来なくなったので、芝崎の岩の所で御神像を下して休みました。
それで、この岩は明神岩と呼ばれるようになり、明神岩は境を守る岩となったといわれています。
南阿田の人が「土地を提供するので、うちの氏神さんとしても拝ませてほしい」と申し出たので、現在の地に合祀したといわれています。

山田町 …… 馬に乗った御神像を頒けてもらったといわれています。

大深町 …… 大深は機先を制して真っ先に剣と御幣、谷奥深は船に乗った女神像、
田殿は一番あとにやってきてこもをもらって帰りました。

中之町はミソコシとホウキ、小島町はスダレ、中牧・市塚町・二見はホウキ、岡町は御幣を持って帰ったといわれています。

古代の祭祀では玉箒たまははきぬさに神霊が依りつくとされ、現在のホウキとは意味が全く違うものです。