宇智郡(旧五條市と大淀町佐名伝)には、井上内親王に関する伝説が多く存在しています。
その主なものは、内親王に関する地名であったり、安産祈願や出産に関するものであったり、御霊神社の宮分けに関するものだったりします。
その中の代表的なものを取り上げていきます。
白壁を塗らぬ
井上内親王は白壁王(光仁天皇)と結婚していたが、宇智郡に流され、この地で1年半を過ごしました。
詳しくはこちら宮分け伝説
嘉禎4年(1238)、本宮から宇智郡内の22村に分祀され、新たに御霊神社が建てられたり、その地にあった神社に併せ祀ったりしたことを「宮分け」と言い、各地にその伝説が残っています。
詳しくはこちら宮分け伝説:黒駒町の御霊神社
宮分けの時、御神体を馬に乗せて犬飼町へ運ぼうとしたところ、馬の脚が止まり、押せど引けど動かなくなりました。
詳しくはこちら宮分け伝説:モウコンの鳥居
宮分けの時、小和村の役人が真っ先に駆けつけ、すばらしく立派な御神像を背負って逃げました。
詳しくはこちら野原の疫病
秋祭りでは霊安寺より神輿が出て、野原の町中を通って五條の御旅所までお渡りをします。ある年、野原の神輿と鉢合わせとなり、霊安寺の神輿が通れなくなってしまいました。
詳しくはこちら産屋峰
井上内親王は宇智郡に来られた時に懐妊しており、安産祈願のため郡内の社寺を巡っていました。
詳しくはこちら五條の由来
五條市内には方格地割の跡が多く確認されており、河南三条という条理地名も確認されていることから、条里制に由来する地名ではないかと考えられています。
詳しくはこちら釜窪の地名
釜窪町の御霊神社の近くに釜塚があります。ここは、井上内親王が御子を生んだときに使った、産湯を沸かした釜を埋めた所であると云われています。
詳しくはこちら荒坂の地名
井上内親王が宮前霹靂神社にお参りしての帰り、現在の荒坂峠で荒血が下りた。
詳しくはこちら下馬町の地名
現在の須恵町一帯を下馬町と呼ばれていました。井上内親王は、現在の統神社の近くに住んでいました。
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