2017年1月21日

御霊信仰・霊安寺

政争で命を落とす人はそれまでにも多くいましたが、それが崇り神として恐れられるようになったのは宝亀6年(775)の井上内親王、他戸親王母子の事件が始まりです。
続いて、延暦4年(785)早良親王の死によってその考えは一層強まりました。

このように無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨霊が災いを起こすと恐れられましたが、その怨霊を祀り崇めれば「御霊」となって守護してくれる神となるという考えとなり、御霊信仰として広まりました。
宇智郡はその発祥の地であり、23社もの御霊神社が創建されたり合祀されたりしたことは、御霊信仰が最も栄えた所である証と言えます。

文献上、最初に見えるのは三代実録に記載されている御霊会で、貞観5年(863)5月20日に神泉苑で行われています。このときに、大同2年(807)の伊予親王、承和9年(842)の橘逸勢たちばな の はやなり、承和10年の文室宮田麻呂ふんや の みやたまろらが祀られています。