政争で命を落とす人はそれまでにも多くいましたが、それが崇り神として恐れられるようになったのは宝亀6年(775)の井上内親王、他戸親王母子の事件が始まりです。
続いて、延暦4年(785)早良親王の死によってその考えは一層強まりました。
このように無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨霊が災いを起こすと恐れられましたが、その怨霊を祀り崇めれば「御霊」となって守護してくれる神となるという考えとなり、御霊信仰として広まりました。
宇智郡はその発祥の地であり、23社もの御霊神社が創建されたり合祀されたりしたことは、御霊信仰が最も栄えた所である証と言えます。
文献上、最初に見えるのは三代実録に記載されている御霊会で、貞観5年(863)5月20日に神泉苑で行われています。このときに、大同2年(807)の伊予親王、承和9年(842)の橘逸勢、承和10年の文室宮田麻呂らが祀られています。
宮司挨拶
当社の近くにある猿田彦神社の梅は、毎年、例祭日である1月16日に1輪か2輪開花します。今年もそうでした。過日、春の選抜高校野球の出場校が発表され、今日からプロ野球がキャンプイ...
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創建 宇智郡(旧五條市と大淀町佐名伝)には御霊神社が23社あると伝えられ、その分祀元が五條市霊安寺町の御霊神社です。このことから、この神社を御霊神...
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嘉禎4年(1238)閏二月 河南の豪族吉原氏と、河北の豪族牧野氏の争論で 23社に宮分け(分祀)されたということが、御霊本記に書かれています。 しかし、これ以上の記載は残...
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霊安寺の創建は定かではありませんが、伝承では葛井王が宇智郡に遣わされた延暦19年(800)に創建されたといわれています。また、このときに御霊神社も創建されたと伝わっています。
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